Ⅰ. はじめに
石造物はインドネシア中部スラウェシ州ロレリンドゥ国立公園内南東を流れるラリアン川及び、その支流沿いに位置
するナプ・ベソア・バダ地域(標高1,250~800m)の山裾・水田・小川に分布している。これまでに、オランダ政府事務
所のKiliaan 1908・宣教師Kruyt 1908 1909 1915 1932、アメリカの動物学者Raven1926、スウェーデンの人類学
者Kaudern 1938、インドネシアの考古学者Haris Sukendar 1976 1980・Joko Siswanto 1999・Ipak Fahriani
1999・Dui Yani Yuniawati 2000、賈 錘寿2010等により報告されている。今回新たに石像物を集成し、特徴と変遷
についてまとめたので、その概要を報告する。 Ⅱ.石造物の種類と特徴
石造物にはPatungと呼ばれる石像、kalambaと呼ばれる石棺、石蓋、石臼、石柱等がある。今回確認した石造物
数はナプで石像14・石棺7・石蓋1、ナプとベソアの間に位置するベトゥエ村、ロンポ村、トリレ村で石像が合計4、ベソ
アで石像24・石棺51・石蓋28・石臼19・石柱12、バダで石像18・石棺20・石蓋6・石臼8である。 Ⅲ.その他の遺物
石像(Patung)は石棺の集中する付近から10~20m離れていることが多く、大多数が人物像で、1体のものと2体
1組のものがある。ベソアのバンケロホにある仮称動物像マソラ1・マソラ2とバダの動物像バウラは鼻が割れ左右の
こめかみの上に角と考えられる線刻が確認でき、水牛の像であると考えられている。人物像には髪・鉢巻・耳・眼・
こめかみ・鼻・口・髭・頸・牙製の首(胸)飾り・乳・肩・腕・手・指・臍・性器が彫られている。最大のものはバダ
のラリアン川北岸の人物像パリンドで、地上高約3.8m・幅約1.5m・厚さ約1.4mある。新発見の石像にはナプ ワン
ガ村のラリアン川西岸で、上下に割れ倒れた全長約3m・幅約1m・厚さ約0.7mの加工途中の仮称人物像NA2、バダの
ラリアン川支流で仰向けに倒れた全長約1.8m・幅約0.7m・厚さ約0.4mの仮称人物像BA3、全長約2.9・幅約1.3m・
厚さ約0.1m以上の仮称人物像レンケカ、うつ伏せに倒れた全長約2.3m・幅約0.9m、厚さ約0.5mの仮称人物像ポン
コーノがある。各地域ごとに特徴がみられ、ナプのタマドゥエ村の人物像ペカタリンガとペカセラの彫りは浅いが、
全体に整形がなされ、顔が小さく、頸が明瞭で、人に近い体型に彫られている。これに比べ他地域の石像の中には背
部の整形が不十分なものがある。各部は深く彫られているが、顔が大きく、頸が短く、口が省略され、指が非常に長
いものや本数も2本、3本と少なく、抽象化された印象を受ける。眼の表現には円形とつり上った楕円形・三日月形の
ものがあり、ナプ南端のロンポ村からベソアではつり上った楕円形・三日月形をし、首(胸)飾りが彫れているものが
多く見られる。
石棺(Kalamba)は舟型(平面不整方形、断面舟形)のものと円筒型(平面円形、断面凹形)のものがある。棺の
内側は刳り貫かれ、一段舌状の張り出しを設けているものもある。大きさは地上高1~1.9m・外径1~2.1m・内径
0.7~1.7m・深さ0.7~1.1mである。また新たに、ナプ ワンガ村のラリアン川西岸で、径約1.4mの仮称石棺NA
1を確認した。各地域ごとに特徴が見られ、ナプ東部のタマドゥエ村の石棺ウィヌア、東部の石棺ワトゥノンコは
舟型である。外面は自然石に近い。他の地域では円筒型をしている。石棺ウィヌアの外面には人・顔・鳥・トカ
ゲが彫られており、タマドゥエ村の住民の話によると1978年まで石棺ウィヌア付近で、ナプ・ベソア・バダの部
族が集まり、アニミズムの祭りが行われていた。その様子が彫られているとのことである。石棺ワトゥノンコは
平面不整方形の石蓋と組み、石棺外面には1つの大きな顔が彫られている。石棺の内、最大のものはベソハのポ
ケケアにある仮称石棺BE38である。形は円筒型で、大きさは地上高約1.9m・外径約2.1m・内径約1.7m・深さ約
0.8m以上である。外面上半には8面の顔が彫られ、顔の輪郭は方形で、こめかみ・つり上った楕円形の眼・鼻・
その下に凹線が廻り、外面下半は整形のみである。これ以外の石棺は外面に何重にも突線が廻るものやゴルフ球
の表面ような凹凸があるものがある。バダの石棺には顔が見られない。
石蓋は石棺と組になり、扁平な自然石の周縁部を加工しただけの平面不整方形、断面凸レンズ状・台形状のも
の、全面加工した平面円形、断面鍋蓋状・凸レンズ状・盤状のものがある。大きさは径1.2~2.7m・厚さ0.1~0.
4mである。上面には顔、動物(猿)が彫られているものもある。最大のものはベソアのタドゥラコの北にある仮称
石蓋BE2である。形は平面不整方形、断面台形状である。外面はゴルフ球のような凹凸と線が彫られている。大き
さは長径約2.7m・短径約1.2m・厚さ約0.4mである。各地域の石蓋には特徴があり、ナプのワトゥノンコでは蓋
上面に線刻が、ベソアでは蓋に顔の他口が省略された猿の全身像が彫られ、バダでは像が彫られているものを確
認していない。
石臼は自然石の上面を平坦にし、椀状に刳り貫いたものである。大きさは高さ0.2~0.5m・径0.6~0.8m・窪み
部分の径約0.2m・深さ0.1~0.3mである。穀物類の脱穀や種子を砕く際に使う農具と考えるが、人物像周辺でも
見られ、儀礼に使用された可能性もある。
石柱はベソア ハンギラ村西のトゥンドゥワヌワの丘に建つ、地上高1.5~2.1mの不整方形の柱で、先端が枘の
ように細くなり、建物の柱として利用されたと考えられる。桁行梁間とも1間分で、四隅に配置されている。石柱
は4箇所計11個確認できる。付近では、石臼3個・石像2体・石棺2個・石蓋3個が集中しており、周辺は一連の集落
跡であると考えられる。
甕はバダのコロリ村ラリアン川北岸で、開墾中に見つかった6個体とパダで、新たに3個体確認した。いずれも口縁を上にして据えられた状態で出土している。コロリ村の甕は径約50cmの素焼きの土器で、体部は横に張りだし頸部は屈曲し、短い外反する口縁からなる。底部は埋まっており詳しいことは分からない。色調は淡褐色で、焼成は軟質で、弥生土器に似た感じである。パダの甕は大半が土中に埋まっており、全体が分からないが、径約50cmの素焼きで硬質のものである。また、コロリ村の石蓋は甕に接し3個出土している。形は平面円形、断面盤状である。大きさは径約50cm・厚さ約6cmである。 磨製石器は現地住民によって石造物近くで2点採取されている。ベソアでは方角石斧を、バダでは棒状の石器(ヤスリ)を確認した。時期は新石器時代後期から金属器時代のものと考えられる。
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磨製石器は現地住民によってベソアとバダで2点採取されている。ベソアでは方角石斧、パダでは棒状の石器を確認した。棒状の石器は金属器の刃部を磨くための石と考えられる。また、ナプのワトゥノンコの発掘調査で青銅製品で出土し、付近では樹皮叩き石が出土している。1976年にHaris Sukendar氏により行われたバダのビラントゥアの発掘調査では円筒型の石棺から数個体以上の人骨と土器が出土し、また、トゥムグアラでは石棺周辺の同時期と考えられる土層から土器と鉄製鉾先、樹皮叩き石、ガラス玉が出土していることからも、石造物の時期は新石器時代後期から金属器時代の文化遺産と考えられる。
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