Ⅳ.石造文化と民族
オーストロネシア人はオーストロネシア祖語を話す人々で、BC4,000年頃に台湾を出発し、フィリピンを経てインドネシアの島々にBC2,500年からBC1,500年頃に到達したと考えられている。この人々は、方角石斧を携え土器、樹皮布を使用し、家畜を飼い、農耕・漁労文化に依存する人々であった。またアウトリガ-付の舟で遠洋航海をしたようである。オーストロネシア言語族と呼ばれる共通言語の拡がりは西はインド洋を経てマダガスカルへ、東はニュ-ギニア・メラネシアを経て南太平洋のミクロネシア・ポリネシアのイ-スタ島にまで達する。中部スラウェシの石造文化は先祖像・水牛の像・方角石斧・樹皮叩き石が見られることからオーストロネシア人が起こした文化に起源する可能性が指摘されている。現在、インドネシア考古学研究センターの研究者はオーストロネシア人がインドネシアに新石器文化をもたらしたとする仮説に基づき調査研究を行っている。 現在の中部スラウェシ ナプ・ベソア・バダの住民はキリスト教・イスラム教に改宗しており、アニミズムの信仰は残っておらず、過去の遺産である石造物の由来について知る人はほとんどいない。しかしながらナプのタマドゥエ村においてアニミズムの祭りを行っていたと証言を得た。内容は1978年 までナプ・ベソア・バダの部族が集まり毎年アニミズムの祭りを行っていた。その場所こそがナプタマドゥエ村にある石棺ウエヌアの位置するところであるとのこと、現在詳しくわからないがこの村には王の末裔がいたとのこと、その王族の墓所こそがウエヌアであり王の祖先を崇拝する祭りが行われてきたと推測される。またナプ・ベソア・バダは共通の石造文化が残り、なかでもウエヌアは最古型式の舟型石棺で、他の石棺と違い棺の側面に人の全身像・顔・鳥・トカゲなどアニミズム信仰と関連する線刻及び浮彫がある。ゆえに装飾されたこの石棺こそがナプ・ベソア・バダの部族の中心となる王の墓であると考えられる。
Ⅴ.まとめ
石造物の特徴から以下のことが考えられる。 1.ナプ・バダ・ベソアの人物像は南スラウェシ州トラジャ族のTautau(木製人形)のように、故人を偲び崇拝する先祖像で、祖霊崇拝に基づく。水牛とされる像は死者への貢物又は豊穣の象徴と考える。 2.ベソアのレンペ村の南山裾にある人物像トカラエア付近の石棺には縁上面にこじ開けた際にできた擦り減った跡がみられ、再葬に使われたと考える。 現在、北スマトラ州サモシル島のバタック族には故人を埋葬し、期間を経た後、骨を集め洗骨し棺に納め、再葬する風習が残る。 約300年前のサモシル島の石棺は円筒型で、中部スラウェシの石棺と似ており、棺内から複数の頭蓋骨が出土している。ナプ・ベソア・バダの石棺も、このような再葬に使われたと考える。 3.ベソアのレンペ村南西山裾にある人物像リンブエナ下方斜面にある8個の石棺の内2個が刳り貫き途中であり、石塊の露頭している場所が、加工地であり、墓地であると考える。或は石塊を現位置まで運搬した後、加工し、埋葬した墓地と考えることもできる。 4.石棺内側の舌状の段は供物を置くための台と考えるが、他に巨大な石蓋を棒状のものでこじ開けるための支点となる台、或は台の上に棺の縁より高めの石を挟み込むことで、棺と蓋に隙間をもうけ、蓋をずらしやすいようにするための台と考えることもできる。 5.バダのコロリ村の土器の甕は石蓋と組み、埋葬用の土器棺と考える。石蓋は小型であるがKalamba(石棺)に使用された平面円形の石蓋に系譜を辿ることができると考える。 6.ナプ・ベソア・バダ地域の石造文化はその特徴からナプ北東のタマドゥエから南下し、ラリアン川沿いにナプ南部からベソア、バダ地域に拡がり、各地域の独自性が加わったと考える。 7.当初、石造物の整形は粗雑であり、彫りは浅く、線による表現であったが、時期が下るにつれ造形的な浮き彫りがみられる。これは加工道具が石器主体のものから金属器が使用されたことによると考えることもできる。 8.石造物の時期はベソアとバダにおいて採取された磨製石器とバダ・ナプにおいて、樹皮叩き石・鉄・青銅製品・ガラス玉が出土していることから新石器時代後期から金属器時代に相当すると考える。 まとめるにあたり、国立台湾大学芸術史研究所助理教授坂井隆氏、駿河台大学非常勤講師坂本勇氏からご教示を頂き、インドネシア考古学研究センタ-、パル博物棺、インドネシア旅行社藤松茂氏、MarkusTappi氏にご協力を頂き感謝いたします。 現地調査は①RISTEKに申請②Balai besar nasional Lore Linduに届出③Balai arkeologo Manadoに申請が必要です。
Ⅵ.おわりに
これまで、インドネシアでは形態の差を全て地域差にしてしまう傾向があり、時間差をあまり考慮されていないようです。日本の考古学研究法は特徴の違いから時期変遷と地域性を読み取り考察し、文化を解明する上に成り立っています。現地であまり行われていない方法で考察したのはこれは初めてであると言われています。ゆえにインドネシア中部スラウェシの文化研究は遺物の集成と蓄積のため調査を行い、より一層解明されなければならないと考えています。 また、中部スラウェシ巨石文化は環太平洋地域に及びオーストロネシア文化およびアジア文化につながる重要な文化遺産であると考えられています。将来、世界文化遺産となり、保存と活用が進めば、現地の発展に寄与することでしょう。秋山成人(日本考古学協会会員)